夭折したわが子を負んぶしている自分を刻んだお墓








お墓建立の際のエピソード:
故郷は離れておおよそ十年。北海道から九州まで「道なきところに道を造る」仕事に直接・間接に関わってまいりまして、年齢のことなど眼中になく、なりふり構わず邁進して参りました。六年前に職を辞し、気がついて見たら「古希」となっておりました。何はさておき、今までさしたる病もせずに健康に過ごすことが出来ましたことは、神仏の御加護の賜物と感謝しております。幼少時に近所におりました十数人の友人、知人が誰一人いなくなり、昔語りをすることを楽しみにしておりましたが、果たすことが出来ず、寂しい限りでありました。浦島太郎になってしまいました。 人にはそれぞれの人生観がございますが、私は七十歳を一つの区切りと致しまして、それ以降は余命と思って、今までに出来なかったことすべて自分の時間として「土に帰るまで」思う存分使いたいと願望して参りました。六年前にすべての拘束から開放され晴れて自由の身となりました。我が世の春がやってきた訳です。(冬場の5ヶ月は休み)。遂にその時がやって来ました。まず山小屋風の倉庫のような家(「終の住処」)に保管しておりました「汗牛充棟」、永久保存に値する約一万冊に及ぶ書籍と膨大な資料の整理から始めました。その他の諸々の物品の整理も併せて約三年の月日を要しました。
月日の流れすこぶる早く、もう少しで「喜寿」を迎えるに当たり、「生者必滅」何時お迎えが来ましても後顧の憂いのないことをしておかなければと思料する至り、早速我が家の菩提寺の住職様にご相談しましたら空いている箇所を幾つかご紹介いただき、結局両親の眠っている最も近い所に建立することにしました。私はお墓に対して一つの思いがあり、石の塊を積み重ねたということでは味気なく思っておりました。ユニークでモニュメント的な墓石としたいと願望しておりました。それではと知恵のない頭を絞りながら二ヶ月ほどあれやこれやと考えた末、デザインポリシーが決まりました。コンパクトでシンプル、そして私が携わった仕事が一目で分かり、そのうえ私の心から消えることのないことを表現することに致しました。まず正面から見て上半分はトンネルの断面を表しその中を走行している電車のヘッド(頭部)を示し、中央部には童地蔵を模した夭折したわが子と負んぶしている自分を表しております。また、名前は篆書を用いました。制作をお願いいたしました石材店の皆様には終始熱心に取り組んでいただき、平成二十三年十月十三日に完成することが出来ました。ここに厚く感謝と御礼を申し上げます。追って十月二十三日に住職様のお取り計らいにより、開眼法要を無事済ますことが出来ました。その後友人たちに写真をお見せしましたら、皆さん大変感激されておりました。人間、自分で自分の葬儀を行うことは出来ませんが、参列された方々に感動を与えられればと思っております。末長く法要していただきますよう祈っております。最近はいろいろな埋葬のやりかたがあるようですが、最後は「土に帰る」のが世の摂理にかなっていると思います。私は人間としやるべきことを果たし、安堵いたしております。これからも今までより以上に心置きなく安心して日々を送れますよう切望しております。


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